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大内家について

家紋・大内菱
大内菱
  • 根拠地:周防国、長門国
  • 出 自:守護
  • 家 祖:大内盛房
  • 最盛期:大内義隆
  • その後:滅亡

大内氏は、琳聖太子の後裔を自称。周防国・多々良浜にて多々良氏を名乗った後、大内氏を称します。鎌倉幕府では六波羅探題評定衆を務めますが、次第に勢力を広げたことで将軍と対立。応永の乱を経て室町時代に盛り返しますが、内乱と毛利氏の台頭により衰退しました。

歴代当主

  1. 1代大内盛房没年不明
  2. 2代大内弘盛没年不明
  3. 3代大内満盛没年不明
  4. 4代大内弘成1244年没
  5. 5代大内弘貞1286年没?
  6. 6代大内弘家1300年没
  7. 7代大内重弘1320年没
  8. 8代大内弘幸1352年没
  9. 9代大内弘世1380年没
  10. 10代大内義弘1400年没
  11. 11代大内盛見1431年没
  12. 12代大内持世1441年没
  13. 13代大内教弘1465年没
  14. 14代大内政弘1495年没
  15. 15代大内義興1529年没
  16. 16代大内義隆1551年没
  17. 17代大内義長1557年没
  18. 18代大内義教没年不明
  19. 19代大内輝弘1569年没

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大内義隆のイラスト
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大内義隆は、現在の山口県東部にあたる周防国の武将・大名です。父から大内氏の最盛期を受け継ぎますが、軍事路線で失敗し落胆。一転して文化教養に傾倒し、周防国を「西の京都」と呼ばれるほど発展させます。武力を捨てた軟弱な姿勢が武断派の家臣の反発を招き、寵愛した陶晴賢に襲撃されて自害しました。享年45。