お待ちくだされ
飯富虎昌は、現在の山梨県にあたる甲斐国の武将です。武田信虎に叛き、敗れたのち信虎・信玄の二代に仕えました。武田軍の代名詞となる赤備えの騎馬隊を率いた元祖で、数々の戦いで武功を挙げます。信玄の嫡男・義信の傅役を務めますが、父子の不和に巻き込まれ、謀反を疑われて自害しました。享年62歳。
1521.?〜 1555.10.16
「謀反を起こして大内家を乗っ取るも疑心暗鬼で自滅した」
1530.1.31 〜 1587.6.28
「キリシタンの情熱が抑えられず神の国を作ろうとした」
1532.?〜 1594.10.28
「物おじしない度胸と減らず口で小田原城を与えられた」
1542.?〜 1612.2.1
「汚れ役もいとわない忠義心で尾張徳川家の父となった」
1559.4.13 〜 1579.10.5
「嫁姑問題が泥沼化したあげく謀反を疑われて切腹した」
1579.5.2 〜 1632.3.14
「偉大な父を継ぐ2代将軍が徳川を治世の頂点に立たせた」
1568.?〜 1595.8.20
「殺生関白の汚名を着せられ世継ぎ問題で切腹させられた」
1593.8.29 〜 1615.6.4
「時代に取り残され母・淀殿と大坂城と運命をともにした」
1553.2.4 〜 1625.6.2
「存在感がなかったけど関ヶ原でじつは西軍総大将だった」
1582.?〜 1602.12.1
「愚物とされた裏切り者が関ヶ原で世紀の寝返りをした」
1572.?〜 1655.12.17
「イケメン若大将は関ヶ原で負けて八丈島に流罪となった」
1556.1.8 〜 1623.4.19
「家康を倒す絶好の機会だったのに痛恨の判断ミスをした」
1546.?〜 1582.4.3
「信玄の跡を継いだけど信長に大敗して武田家を滅ぼした」
1542.?〜 1590.8.10
「兄・氏政を分身のように補佐して盛衰の運命を共にした」
1538.?〜 1590.8.10
「秀吉をナメすぎて追い込まれ小田原評定のすえ降参した」
1538.?〜 1615.1.27
「放り投げられた蹴鞠のように浮遊しながら生き抜いた」
1528.?〜 1582.2.18
「筆頭家老なのに突然の折檻状で信長からクビにされた」
?〜 1576.1.27
「家康と信長をつないだ仲人だったのに恩を仇で返された」
1533.?〜 1592.?
「なぜか家康から出奔して秀吉にキャリアチェンジした」
1493.?〜 1561.10.18
「創作上の人物とされていた信玄の天才軍師は実在した」
1538.?〜 1616.7.20
「政敵を封殺する陰謀の数々で晩年の黒い家康を創出した」
1542.?〜 1597.1.2
「じつは忍者じゃなかったけど伊賀衆を束ねる頭領だった」
1541.?〜 1582.6.21
「裏切り者と呼ばれ武田家を残すも伊賀越えできなかった」
1504.?〜 1565.11.7
「元祖・武田の赤備えだったが謀反の企てが弟に暴かれた」
1541.?〜 1612.7.2?
「天下御免!戦国随一の傾奇者は雲のように悠々と生きた」
1560.?〜 1620.1.23
「家康を煽る直江状を送りつけて関ヶ原の戦いを起こした」
1561.?〜 1624.8.26
「秀吉子飼いの猛将は大一番の賤ヶ岳で一番槍をとった」
1558.?〜 1600.11.6
「嘘も方便とはいかず文禄・慶長の役を招いてしまった」
1562.7.25 〜 1611.8.2
「虎退治の豪傑は朝鮮出兵で勢い余って隣の国まで攻めた」
1556.2.16 〜 1630.11.9
「築城名人はキャリアも積み重ねて転職するたび出世した」
1540.4.8 〜 1591.2.15
「あと10年生きていれば…有能な弟が秀吉を補佐していた」
1539.?〜 1600.9.8
「関ヶ原前夜、三河武士の意地を抱いて伏見城に散った」
1527.?〜 1596.12.17
「家康のピンチを太鼓で鼓舞し、奇襲で信長を唸らせた」
1525.?〜 1586.10.21
「甲州征伐で大活躍したが清洲会議に乗り遅れてしまった」
1536.?〜 1584.5.14
「信長の乳兄弟で幼馴染の男は謀反人に強さを発揮した」
1535.10.16 〜 1585.5.15
「米のように欠かせない男が安土城の普請に腕を振るった」
1546.12.22 〜 1604.4.19
「秀吉と天下を取った軍師が関ヶ原の裏で大博打をした」
1530.?〜 1586.12.25
「生涯無敗、不退転の覚悟の背水の陣で秀吉をびびらせた」
1533.?〜 1597.7.26
「父ゆずりの頭脳と確かな先見性で毛利の家を守り抜いた」
1497.4.16 〜 1571.7.6
「謀略と兵法と折れない三本の矢で中国地方を統一した」