宇喜多家のページ

宇喜多家について

家紋・児文字
児文字
  • 根拠地:備前国
  • 出 自:国人
  • 家 祖:宇喜多宗家
  • 最盛期:宇喜多秀家
  • その後:滅亡

宇喜多氏のルーツは、百済王族の子孫など諸説があります。応仁の乱で下克上をした浦上氏の家臣でしたが、宇喜多直家が浦上宗景を追い出して大名になります。直家の没後、豊臣秀吉に養育された宇喜多秀家が五大老になりますが、関ヶ原の戦いに敗れ、江戸時代に入ると改易され、滅亡しました。

歴代当主

  1. 1代宇喜多宗家没年不明
  2. 2代宇喜多久家没年不明
  3. 3代宇喜多能家1531年没?
  4. 4代宇喜多興家1536年没?
  5. 5代宇喜多直家1581年没?
  6. 6代宇喜多秀家1655年没

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宇喜多秀家のイラスト
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宇喜多秀家(成元、家氏、浮田久福)は、現在の岡山県南東部にあたる備前国の武将です。豊臣五大老のひとり。豊臣秀吉の猶子になり、朝鮮の役で日本軍の総大将を務めるなど将来を嘱望されます。西軍の副大将として関ヶ原の戦いに参戦しますが、敗れて流罪になりました。八丈島に流された最初の人物です。享年84。