上杉謙信の名言集
上杉謙信は、武田氏や北条氏に領地を奪われた人たちのために戦った戦国武将です。初陣から勝ち続け、一騎駆けで敵陣に突入するなどの武勇伝を持つことから、軍神と呼ばれました。正々堂々とした、ポジティブで心を奮い立たせる名言を多く残しています。

運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり
いつも一人でいて近寄りがたい雰囲気だけど、すごくカッコイイ人。弱きを助け強きをくじく正義のヒーロー。実際に居たら憧れてしまいませんか?
絶大な人気を誇る戦国武将・上杉謙信はそんな人物です。
領地をめぐる争いが絶えない時代に、謙信は正義のためだけに戦いました。義を重んじた軍神の言葉は、つねに前を見て私たちを牽引してくれます。
「運は天にあり」からはじまる有名な言葉は、謙信がまだ長尾景虎を名乗っていた20代後半の頃、戦場で自軍を鼓舞した名言です。少し長いので、分割して紹介します。

運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり。
”運は天が決めるが、身を守ることは心と力で決まる、手柄は自力でつかめ” という意味です。

何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。
”つねに敵を分析して、手の上で転がすように戦え” という意味です。

死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。
”死ぬ気で戦えば勝つ、生き残ろうと戦えば死ぬ” という意味です。

運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。
”一定の周期で運がめぐってくるなんて思うな” という意味です。

武士なれば、わが進むべき道はこれほかなしと、自らに運を定めるべし
”自分が進むべき道に覚悟を決めて行け” という意味です。
このように、腹の奥から闘志を掻き立てられる言葉に続いて、謙信は「遅れをとるなー!」と全軍に号令をして、先頭を駆けていきました。
サクッと読める短い名言

我を毘沙門天と思え。
”わたしが毘沙門天です” という意味です。
上杉家では、大事な誓約は毘沙門天像のまえで執り行う決まりがありました。あるとき、急ぎの誓約書が必要になり、毘沙門堂に行く時間がなかったので「私が毘沙門天だからここでやっちゃおう」と言ったそうです。

人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり。
”弱っている相手を攻めるなんてダサい” という意味です。
武田信玄の死後、長篠の戦いで武田勝頼が織田信長に惨敗します。家臣たちは、武田を討つチャンスと言いましたが、謙信はこう答えました。
グッとくる深い名言

上策は敵も察知す。われ下策をとり、死地に入って敵の後巻を断たん。
”良い作戦は誰でも気付く、あえて悪い作戦で敵の裏をかこう” という意味です。
謙信の真骨頂かもしれません。川中島の戦いでは、挟みうちにしようとした信玄の裏をかいて、謙信は武田本陣に突入し、信玄に斬りかかりました。

信玄の兵法に、のちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。自分は国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない。さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている。
”自分には損得で戦う考えはない、ただ勝つだけ” という意味です。
信玄に土地を取られ、謙信を頼ってきた村上義清に伝えた言葉です。自分が戦う理由は、土地ではない。土地を奪い返してほしいという願いはきけないかもしれないが、そこに戦いがあるならば勝とうということでしょうか。

我は兵を以て戦いを決せん。塩を以て屈せしむる事をせじ。
”決着は戦で!経済制裁で弱らせるなんてダサい” という意味です。
武田信玄が今川氏真の経済制裁をうけて、塩の流通を止められて困っていたときに言った謙信の言葉です。謙信は敵である信玄に塩を送ってあげました。
ビジネスに使える名言

人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことを言ってはならぬ。
”部下を持つ立場の人が軽はずみなことを言ってはダメ” という意味です。
ごもっとも。場合によっては、部下の人格形成に影響を与えることもあります。チームの方針や成果に影響を与えることもあります。
上杉謙信の辞世の句
急死してしまった上杉謙信ですが、晩年に詠んだとされる2つの句が、辞世の句として伝わっています。

四十九年一睡夢 一期栄華一盃酒
”私の49年の生涯は、ひと眠りの夢のよう。華やかな繁栄も、一杯の酒に酔った幻。二杯目はないのだ。”

極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし
”私が死んだあとに行くのは、極楽か地獄かわからないが、私の心は雲がかかっていない月みたいに晴れやかである。”
いずれも粋で美しい句だと思います。軍神と畏れられた上杉謙信ですが、筆跡は美しく、書や歌も得意でした。