石田三成の名言集
石田三成は、豊臣秀吉に見出されて小姓になり、豊臣政権の中枢を担った奉行です。不正を許せない正義漢で、秀吉亡きあとの豊臣家で野心を抱く徳川家康を討ち果たすべく関ヶ原の戦いに挑みました。死に際して、命を尊ぶ凛々しい名言を多く残しています。

大一大万大吉、一人は万民のため、万民は一人のため
まじめすぎるとからかわれたり、融通がきかないと嫌われてしまうけど、人知れずみんなのために働くクラス委員長。そんな頑張り屋さんはいませんか?
関ヶ原で敗れた悲運の武将・石田三成はそんな人物です。
歴史は勝者によって語り継がれます。結果だけ見れば石田三成は敗者ですが、彼は豊臣秀吉が築いた天下を守るために、豊臣家をおびやかす存在となった徳川家康と戦いました。
関ヶ原の戦いで石田三成の旗印には、こんなスローガンが書かれていました。

大一大万大吉。
”一人は万民のため、万民は一人のために、そうすれば皆が幸せになる” という意味です。
One for all, All for one と同義の精神で、私欲ではなく皆のために戦うという意思の旗でした。偏屈な嫌われ者というイメージの三成ですが、戦場に掲げた彼の旗印には子どものようにピュアな願いが記されていました。
グッとくる深い名言

汝に二心あるを知らざりしは愚かなり。されど、義を捨て人を欺きて、裏切りしたるは、武士の恥辱、末の世までも語り伝えて笑うべし。
”裏切りを見抜けなかったとは情けない。でも、裏切ったお前はずっと笑い者だぞ” という意味です。
関ヶ原の戦いで、三成の西軍から家康の東軍に寝返った小早川秀秋に対して言い放った言葉です。これは絶望しかなかったでしょう。小早川秀秋の寝返りは東軍の勝利に貢献しましたが、ネガティブな行いとして言い伝わっています。

命を惜しむは、ひとえに我が志を達せんと思うがゆえなり。
”果たしたい目標があるから命を大事にしている” という意味です。
死を目前にして、死ぬのが怖いのではなく、目的が果たせなかったことが悔しいとつぶやきました。豊臣家のために徳川家康を討ちたかったのです。

大義を思うものは、たとえ首をはねられ瞬間までも命を大切にして、なにとぞ本意を達せんと思う。
”大切なことのためなら、最後の瞬間まで投げ出したりしない” という意味です。
刑場に連行されたおり、三成は喉が乾いたので水が欲しいと伝えます。代わりに柿を渡されて「柿は腹に悪い」と断り、周囲から「今から死ぬのに」と嘲笑されました。そのときに言い返した言葉です。

念仏は無用に願おう。わしは行く末を案ずるようなことは少しもしておらぬ。泉下にて太閤殿下にお目通り叶うが楽しみである。
”地獄には堕ちないから死ぬのも怖くない、むしろ楽しみ” という意味です。
こちらも刑場において。処刑される前に念仏を唱えるのが慣例でしたが、これを拒否しました。「太閤殿下」と口に出し、少しも取り乱さなかったといいます。
ビジネスに使える名言

常に奉公人は、主君より取物を遣い合わせて、残すべからず。残すは盗なり。つかい過ごして借銭するは愚人なり。
”予算はちゃんと使いきりましょう” という意味です。
そのお金は公のためのお金です。使うべきところにお金を投じずに手元に余らせるのは泥棒と同じ。反対に、使い込みすぎて足りなくなるなんて論外です。
石田三成の辞世の句
関ヶ原の戦いに敗れた石田三成は、豊臣の治世を乱した反逆者として捕われます。処刑される直前に残した辞世の句があります。

筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり
”筑摩江の水辺にはたくさんの芦、その間から琵琶湖を照らすかがり火が見える。朝を迎えると、あの火といっしょに私の命も消えてしまうのだなぁ。”
筑摩江とは琵琶湖の入江のひとつです。愛しい故郷の風景に想いを馳せて、かがり火と重ねた命の炎を慈しんでいます。
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