伊達政宗の名言集
伊達政宗は、独眼竜のニックネームでお馴染みの戦国武将です。群雄割拠の時代に遅れて生まれたものの、天下取りへの野心を抱き続けました。思い通りにいかないことさえ、捉えかた次第であるといった、洒落ていて、ひねりのきいた名言を多く残しています。

この世に客に来たと思えば何の苦もなし
ある日、突然やってきた派手な転校生。あるいは生意気な新入社員。だけど何でもこなせるマルチなアイツ。見た目もオシャレで話も面白い。身近にこんな人が現れたら、気になってしまいませんか?
圧倒的な話題性で歴女たちに大人気の伊達政宗はそんな人物です。
ユニークな生き様とは裏腹に、政宗の人生は苦難の連続。幼い頃に片目の視力を失い、家督を継いでからは身内とも争いました。生まれてきたのが遅かったため、実力があっても、豊臣秀吉や徳川家康に従わざるをえない日々。そんな彼の言葉は、がっかりしたときに優しく肩を叩いてくれます。
政宗が残した『五常訓』には、生きづらい世の中でも、スッと気持ちが楽になる魔法の言葉が並んでいます。少し長いので、抜粋して紹介します。

仁に過れば弱くなる。
”優しいだけじゃなめられる” という意味です。

義に過れば固くなる。
”正しいばかりじゃつまんない” という意味です。

礼に過れば諂いとなる。
”合わせてばかりじゃお世辞になる” という意味です。

智に過れば嘘をつく。
”知恵におごれば嘘をつく” という意味です。

信に過れば損をする。
”信じてばかりじゃ馬鹿をみる” という意味です。
ここまでが「仁・義・礼・智・信」の五常訓です。これに続いて、政宗は次のような言葉を遺訓として残しています。

この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
”この世に客に来たと思えば何もつらくない” という意味です。

朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
”招いてもらった客の身なら文句もないよね” という意味です。

気ながく心穏やかにして、よろず倹約を用い、金を備うべし。倹約の仕方は、不自由を忍ぶにあり。
”無駄づかいはせず、気長にのんびりと” という意味です。

人がこの世へ生まれて百万長者も、最後に及んで要する所は、方六尺の穴一つ、戒名を刻んだ石碑一つで、家も、倉も、金も、地所も、妻も、子も、すべてを残して、死出の旅路をただ一人辿る。
”どんな人でも最後は墓に入り、何も持って行けない” という意味です。

曾て我が者と思ったもの、一として我に伴うはない。我は客人であったのである。
”お供は要らない。私は客人だったのだ” という意味です。
自分を中心に考えるから、思いどおりにならないと「なぜ自分ばかりが…」とつらくなります。そもそも、この世に客人として招いてもらっていると思えば、大抵のことは我慢できるし、気持ちの切り替えも楽になります。天下を欲した政宗は、秀吉や家康に夢を阻まれましたが、しぶとく生きました。
サクッと読める短い名言

まともでない人間の相手をまともにすることはない。
”バカはほっとけ” という意味です。
そうそう。

大事の義は人に談合せず、一心に究めたるがよし。
”大事なことは他人に相談せず、自分で決めよう” という意味です。
誰かに相談すると、失敗しても他人のせいにしてしまいます。自分の決断にひとりで向き合い、責任を持ちましょう。成功も失敗も、自分次第なのです。
グッとくる深い名言

物事、小事より大事は発するものなり。油断すべからず。
”小さなことから大事になる” という意味です。
大したことないと思っていても、気がつけば大変な事態になることも。気をつけましょう。

戦場を駆け回っていた私が、畳の上で死ぬとは思っていなかった。
”こういう最後になるとはなぁ” という意味です。
晩年、がんを患っていた政宗が病床でつぶやきました。翌日の早朝、波乱の生涯を終えました。
ビジネスに使える名言

馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である。
”ご馳走とは、主人が集めた食材を料理して客人に振る舞うこと” という意味です。
馳走という熟語には、走るという意味の字がふたつ並んでいます。主人は野山を走り回って食材を調達し、料理するという手間をかけ、その手間こそがおもてなしの心であると説いています。

仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり。何にても、其の主の勝手に入らずば、悪しき料理など出して、差当り虫気などあらば、気遣い千万ならん。
”料理は主人がやる。他人が作った料理で客人の具合が悪くなったら大変” という意味です。
お客様をおもてなしする席は、他人に任せたりせず、主人が自らお膳立てすること。政宗は、部下に対しても自ら料理の腕を振るってもてなしたといいます。
伊達政宗の辞世の句
破天荒なイメージの伊達政宗ですが、70歳の天寿を全うしています。数々の困難を乗り越えた人生の辞世の句がこちらです。

曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く
”光を遮るものがない心にある月、自分の信念だけを頼りに、真っ暗で先が見えない戦乱の世を生き抜いた。”
豊臣秀吉、徳川家康というふたりの天下人が入れ代わる、激動の戦国末期に、強烈なキャラクターで存在感を示した伊達政宗らしい粋な句だと思います。
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