浅井長政
1545.?〜 1573.9.26

浅井長政(賢政)は、現在の滋賀県にあたる近江国の武将・大名です。六角義賢に支配されていた父を隠居させて、六角氏から浅井氏を独立させました。織田信長の妹・市と結婚して同盟を結びますが、朝倉氏との関係を優先します。浅井&朝倉の連合軍で、信長を相手に何度も戦いますが、敗れて自害しました。享年29歳。
- 浅井長政の武将タイプ
- 勇士
浅井長政は何をした人?このページは、浅井長政のハイライトになった出来事をなるべく正しく、独特の表現で紹介しています。きっと浅井長政が好きになる「妻・お市の兄である信長のパートナーだったが裏切った」ハナシをお楽しみください。
- 名 前:浅井賢政 → 浅井長政
- 幼 名:猿夜叉丸
- あだ名:北近江の鷹
- 官 位:贈従二位、中納言
- 戦 績:15戦 8勝 4敗 3分
- 出身地:近江国(滋賀県)
- 領 地:近江国
- 居 城:小谷城
- 正 室:平井定武の娘、市(織田信長の妹)
- 子ども:2男 3女 1養
- 父と母:浅井久政 / 小野殿
妻・お市の兄である信長のパートナーだったが裏切った
凛々しい顔立ち、侠気あふれる若殿様。浅井長政はイケメン戦国武将で知られています。その妻、お市も天下一の美女と噂される美貌でした。戦国一の美男美女カップルは仲睦まじく、3人の娘にも恵まれました。
妻・お市のお兄さんは、織田信長です。お市は織田家のアイドルのような存在でしたが、信長のたっての希望で浅井長政のもとに嫁ぎました。おまけに、結婚にかかる費用はすべて信長が出してくれました。お市の輿入れを、信長はとても喜びました。
織田信長がそこまで浅井長政に入れ込んだのには、理由がありました。
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信長の重要な
パートナーだった
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1567年、浅井長政はお市を妻に迎えます。この頃、美濃国を制圧した織田信長は、天下への野望を抱きはじめていました。天下を治めるには京を手に入れる必要があり、美濃国から京への途上には近江国がありました。そして、北近江で勢いがある大名が浅井長政でした。
信長は京に向かう上洛のパートナーに浅井長政を選んだのです。

これより少し前の1560年、当時16歳だった浅井長政は、父・浅井久政を隠居させて当主になり、六角義賢をやぶって六角氏の支配から独立を果たしました。このニュースは、ちょうど同じ頃に桶狭間の戦いで今川義元を討った織田信長の耳にも入っていました。
自分と同じく強敵に打ち勝った浅井長政という若者に興味を持った信長は、お市の婿にふさわしいと考えました。
1568年に上洛の機会を得た信長の先兵として六角領に攻め入った浅井長政は、期待以上の武者ぶりで京への道を切りひらき、織田政権の樹立に大きく貢献しました。
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どうして
信長を裏切った?
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浅井長政は義兄をリスペクトしていましたが、1570年に信長が朝倉氏を攻めたことで歯車が狂います。というのも、信長と同盟を結んだ際、浅井氏からは「代々世話になってきた朝倉家を攻めないこと」を条件にあげていました。信長がこの約束をやぶったのです。
浅井氏と隣国関係にある朝倉氏は、浅井長政の祖父・浅井亮政の頃から独立を支援してくれた恩人です。その恩人が、織田信長にいじめられているのを放っておくわけにはいきません。
とはいえ、信長は愛するお市のお兄ちゃん。どちらにつけば良いのか、浅井長政は葛藤します。
「だから織田は信用できないと言ったではないかー」「朝倉さんを助けろ」と浅井の家臣たちは大騒ぎ。浅井長政も、約束は約束であるとして、信長を討つ覚悟を決めました。
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そんなまさか
お市っちゃん
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浅井長政は、朝倉氏を攻める織田軍の背後から迫りましたが、タッチの差で信長に逃げられてしまいます。どうやら信長は、浅井軍の動きを察知していたようでした。
一方、信長討ての決起に騒がしくなる小谷城内の空気を感じて、お市は両端を縛った袋に小豆を入れて兄・信長にこっそり届けさせました。

これは「挟み討ちされる、お兄ちゃん逃げて!」というメッセージでした。信長を逃したのは、お市だったのです。
その後、浅井長政は信長と3年におよぶ泥沼の戦いを繰り広げます。1570年の姉川の戦いや志賀の陣など、朝倉義景と協力して徹底抗戦します。織田軍に甚大な被害をもたらしましたが、最後は信長に攻め滅ぼされました。
お市を迎えたとき、こんな日が来るとは夢にも思っていませんでした。
生涯を簡単に振り返る
1545年、浅井長政は近江国・観音寺城の城下に浅井久政の長男として生まれます。父は六角氏に従う弱い立場で、母は人質に出されていました。浅井長政は六角家で生まれて元服します。なかば強引に父を隠居させ、六角義賢を野良田の戦いでやぶって独立。その後、上洛を目指す織田信長と同盟し、お市を妻に迎えました。
信長の上洛戦では六角領を攻め進む活躍をしましたが、織田氏と朝倉氏が対立すると腐心し、信長との同盟を破談にします。朝倉義景と共闘して、姉川の戦いや志賀の陣で信長と戦い、おおいに苦しめました。信長の反撃によって朝倉氏が滅ぼされると、浅井氏にも最期のときが迫りました。
最後と死因
朝倉氏が滅亡した直後、近江国・小谷城を攻められた浅井長政は父と自刃しました。1573年9月26日、死因は自害。29歳でした。妻・お市と3人の娘は小谷城から逃れ、織田家で保護されました。浅井父子と朝倉義景の頭蓋骨は、金箔をあしらった箔濃の盃にされ、織田家の正月祝いの席に並べられました。
領地と居城

かつて主家であった京極家が領有した近江国の北部、琵琶湖に接した39万石ほどが浅井長政の領地でした。信長が京に上る通り道として重要な場所でした。
浅井長政の性格と人物像
浅井長政は「とても義理を大事にする人」です。
優男のイメージで知られますが、父を強制的に隠居させ、主君をシバいて成り上がった武闘派です。しかしながら、先代のへっぴり腰に絶望していた家臣たちの希望を背負ってのことですので、野心からの下克上ではなく義侠心でした。
涼やかな笑顔が似合う好青年ですが、ひとたび戦場に出れば織田信長も感服するほどの猛将ぶりでした。ふだんは優しい子煩悩なパパで、夫婦仲もよかったというギャップもモテる要素です。
身長182cm、体重90kg、がっしりとした体躯の美男子です。惚れ惚れするような風貌から、戦国一のイケメンといわれています。
肖像画が数点ありますが、どれもりんごのようにふっくらした顔で、現代的なイケメンとは、イメージが違います。小ぶりで爽やかな酸味の和りんごが好物でした。
能力を表すとこんな感じ

初陣から抜群の強さを発揮した統率力が浅井長政の持ち味です。すぐに行動に移せるフットワークの軽さも強みです。
信長の野望シリーズに登場する浅井長政の能力値も参考にしています。
浅井長政の面白い逸話やエピソード
お市とのあいだに生まれたべっぴんぞろいの娘たちがスゴイことになる
絶世の美女といわれるお市の方と、イケメン長政のあいだに生まれた三姉妹は、それぞれえらいことになります。

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長女・茶々
秀吉の側室
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キモいほど豊臣秀吉に愛された側室として知られ、日本初の教育ママ・淀の方になります。豊臣家の2代目・豊臣秀頼の母として、ご意見番として、政治にもたいへんな影響力をもちました。最後は徳川家康と大坂の陣で争い、非業の死をとげます。
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次女・初
名家の嫁
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かつて浅井氏が仕えていた名門・京極家に嫁入り&玉の輿に乗ります。旦那さんの京極高次は、関ヶ原の戦いで手柄をあげて、徳川幕府では初代・小浜藩主になりました。
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三女・江
将軍の嫁、天皇の祖母
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徳川2代将軍・徳川秀忠に嫁入りし、3代将軍になる徳川家光、後水尾天皇の正室で明治天皇の母となる徳川和子を産みます。ということは、浅井長政は現在の天皇陛下の直系の祖先にあたり、浅井の血は残ったどころか、どセンターの家系に受け継がれました。
お市が産んだのはこの3人だけです。
市と結婚する前に、側室が産んだ男の子が2人いましたが、長男・万福丸は信長に殺され、次男・万菊丸は赤ん坊のうちに逃れて、近江の福田寺に預けられました。
浅井長政の有名な戦い
六角氏の支配下から浅井長政が独立を計画し、実行した。これに激怒した六角義賢は、肥田城に対して水攻めを行うが失敗。肥田城の救援に向かった浅井軍と六角軍が野良田(滋賀県彦根市野良田町)で激突した合戦。浅井長政は初陣だったが、見事に勝利で飾った。
野良田の戦いで浅井長政は勝っています。
この直前に六角家の縁者であった嫁と離縁しています。戦いに勝利したことで、完全に六角氏と絶縁し、独立しました。
越前の朝倉義景を攻めていた織田信長を朝倉軍と浅井軍が金ヶ崎(福井県敦賀市金ヶ崎町)で挟み撃ちにした戦い。浅井長政の裏切りによって、織田軍は撤退を余儀なくされる。木下秀吉が、客将として参戦していた明智光秀ととも撤退戦の殿を担い、信長を無事に逃げさせた。
金ヶ崎の戦いで浅井長政は勝っています。
浅井長政のターニングポイントになった戦いです。
長政の裏切りをまったく予想していなかった信長の心胆を寒からしめました。ここで信長を討てなかったことは、浅井氏と朝倉氏にとって痛恨の極みでした。朝倉氏に義理を立てたこの判断が命運を決めました。
浅井&朝倉軍と、織田信長の援軍で参陣した徳川家康が姉川(滋賀県長浜市野村町)で激突した合戦。本多忠勝が一騎討ちで真柄直隆と渡り合うなど、徳川軍の活躍が目覚ましく、榊原康政の突撃で朝倉軍は敗走。激戦で姉川は血に染まり、血原や血川橋という地名を残した。
姉川の戦いで浅井長政は敗れています。
朝倉氏との連合軍で、織田&徳川軍との決戦に臨みました。長政が率いた浅井軍は、信長が率いる織田軍と対戦しました。一進一退の攻防は、朝倉軍の戦場離脱により勝敗が決しました。
信長が摂津国に出陣している隙に、浅井長政が近江国の織田領に侵攻。朝倉義景とともに1千ほどの城兵が守る宇佐山城(滋賀県大津市)を攻め、森長可らを討ち取る。摂津から織田信長が引き返してきたことを知った浅井&朝倉軍は比叡山に匿われ、以後は包囲戦が続いた。
志賀の陣で浅井長政は引き分けています。
織田信長が畿内で挙兵した三好氏の討伐に向かった隙を突いた行動でした。京方面に進軍しましたが、信長が引き返す動きを見せたため、比叡山に退がりました。
信長に叛いた浅井長政を殲滅するべく、織田信長が小谷城(滋賀県長浜市湖北町)を攻めた合戦。小谷山を要害とした堅城を攻略するため、織田軍の木下秀吉は、城内を分断する作戦を実行する。崖を登って奇襲に成功し、小谷城を陥落させた。これにより、浅井氏は滅亡した。
小谷城の戦いで浅井長政は敗れています。
この戦いに至るまでに、浅井長政は盟友である朝倉義景、15代将軍・足利義昭などの勢力と協力して信長包囲網を構築していました。しかし、義昭が追放され、朝倉氏が滅ぼされ、包囲網は瓦解。最後に残った浅井氏も攻め滅ぼされました。
浅井長政の詳しい年表と出来事
浅井長政は西暦1545年〜1573年(天文14年〜天正元年)まで生存しました。戦国時代中期から後期に活躍した武将です。
1545 | 1 | 浅井久政の嫡男として近江国に生まれる。幼名:猿夜叉丸 母とともに六角氏の人質として過ごす。 |
1559 | 15 | 元服 → 浅井(新九郎)賢政 六角氏の家臣・平井定武の娘と結婚。 |
1560 | 16 | 父・浅井久政を強制的に隠居させて家督を相続。 平井定武の娘と離婚し六角氏に送り返す。 肥田城を調略して味方につける。 ”野良田の戦い”初陣。六角義賢が肥田城を水攻めにするが、失敗。駆けつけて撃退する。 六角氏から独立。 |
1561 | 17 | *今井定清に六角領・太尾山城を攻めさせる。陥落させるが定清は戦死。 |
1563 | 19 | 六角氏のお家騒動で離反した者が浅井氏に仕える。【観音寺騒動】 斎藤領・美濃国に侵攻する。六角義賢が浅井領を脅かしたため、引き返して六角軍を撃退する。 |
1566 | 22 | ”蒲生野の戦い”布施公雄が六角氏に叛く。これに味方して六角義賢を敗る。 |
1567 | 23 | 織田信長の妹(市)と結婚。 改名 → 浅井長政 |
1568 | 24 | 足利義昭を奉じて京に進軍を開始する織田信長の軍勢に加わる。 ”観音寺城の戦い”織田信長の要請で六角義賢・義治父子との戦に参加。 |
1569 | 25 | ”大河内城の戦い”織田信長の要請で北畠具教・具房父子との戦に参加。 |
1570 | 26 | ”金ヶ崎の戦い”織田信長が不戦の誓いをやぶって朝倉領・越前国に侵攻する。朝倉氏と協力して織田軍を挟撃し、敗走させる。 織田氏との同盟が破談。 ”姉川の戦い”朝倉氏と協力して織田氏&徳川氏の連合軍と決戦をする。織田信長に敗れる。 ”宇佐山城の戦い”朝倉氏、六角氏と協力して織田領・近江国を攻める。織田信治と森可成を討ち取る。【第1次信長包囲網】 ”志賀の陣”比叡山延暦寺に朝倉氏と庇護を受けて織田信長に抵抗する。織田氏からの講和の申し出を無視する。 正親町天皇の勅命により織田信長と和睦する。 |
1571 | 27 | 織田信長に佐和山城を攻められる。磯野員昌が織田氏に降る。 朝倉氏と協力して織田領・横山城と箕浦城を攻めるが、敗れる。 |
1572 | 28 | 織田信長に小谷城を包囲される。朝倉義景に援軍を要請するが、朝倉軍が撃退される。 武田信玄が織田領に侵攻したため、織田信長が小谷城の包囲を解いて撤退する。【第2次信長包囲網】 宮部城・宮部継潤が木下秀吉に調略されて織田氏に降る。 朝倉氏と協力して織田領・虎御前山砦を攻めるが、木下秀吉に敗れる。 |
1573 | 29 | 将軍・足利義昭が信長打倒の挙兵をするが敗れて京を追放される。【室町幕府の滅亡】 織田信長に再び小谷城を包囲される。救援にきた朝倉義景が織田軍に迎撃されて退却、追撃されて朝倉氏が攻め滅ぼされる。朝倉家滅亡 ”小谷城の戦い”朝倉氏を滅ぼした織田信長に小谷城を攻められる。徹底抗戦するが陥落。浅井久政・長政父子は自害。妻・市と三人の娘は織田氏が保護。浅井家滅亡 |

- 浅井長政 – Wikipedia
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- 浅井長政はどうして織田信長を裏切って朝倉義景に味方したのか? | 歴史の読み物
- 「小谷城の戦い(1573年)」信長、年来の敵・浅井家を滅ぼす! | 戦国ヒストリー
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