一番槍とか一番首、合戦の手柄や功名はどんな意味なの?

一番槍とか一番首、合戦の手柄や功名はどんな意味なの?

合戦で『一番槍』とか『一番首』などの手柄を立てたというけれど、それってどんな意味?たくさんあって覚えきれない!けど、よく見るとスポーツみたいで面白い。手柄の種類とそれに該当する条件をわかりやすくまとめます。一番槍が最も高く評価された理由、一番槍で知られる有名な武将たちをならべてみましょう。

一番槍だけじゃない合戦の手柄や功名

合戦で立てた手柄(てがら)にはさまざまな功名がつき、その働きによって、戦後おこなわれる論功行賞の判断材料になりました。

論功行賞によって恩賞が決定されるため、なるべく目立つ働きをするよう、以下にある手柄(てがら)をこぞって(ねら)いました。

これらの働きは『軍目付(いくさめつけ)』という監視役(かんしやく)によって記録され、不正を行った者や虚偽(きょぎ)の申告をした者には厳しい(ばつ)が課せられました。

一番○○の手柄とされた働き


かかれー!
一番槍、一番太刀

敵に対して一番はじめに()めかかること。(やり)を用いた場合は『一番(やり)』とされ、太刀(たち)を用いた場合は『一番太刀(たち)』と(しょう)されます。
一番(やり)に続いて、二番(やり)、三番(やり)と順に評価されました。

戦いの口火をきった個人またはグループに(あた)えられる功名です。必ずしも(やり)である必要はありませんが、弓や鉄砲(てっぽう)といった飛び道具は対象外でした。

サッカーに例えると敵陣(てきじん)の深くに()めこんで最初に放ったシュートです。

【一番槍】一番はじめに敵に攻めかかること


お先に!
一番乗り

一番乗り』とは、敵方の城や(とりで)敵陣(てきじん)に一番はじめに突入(とつにゅう)して乗りこむこと。
一番乗りに続いて、二番乗り、三番乗りと順に評価されました。

目標地点に到達(とうたつ)する速さが焦点(しょうてん)となります。スポーツクライミングや短距離走(たんきょりそう)など、順位を競う競技で先にゴールする感覚です。


取ったー!
一番首

一番首』とは、敵の首級を一番はじめにあげること。
一番首に続いて、二番首、三番首と順に評価されました。

敵の首級をあげた場合、当然ながら一番の手柄(てがら)になるのは大将首です。次いで一番首。雑兵の首である場合は、数で手柄(てがら)が決まりました。

スポーツでいえば先制点。大量点をとったゲームなら、最多得点者でしょうか。

一番槍など、一から順番に評価される

○○の功名と称えられた働き


ズバッと!
太刀打ちの功名

太刀(たち)打ちの功名』とは、太刀(たち)で敵を討ち取ること。

太刀(たち)とは、刃渡(はわた)り60cm以上で刀身が反っている大きめの刀。いわゆるチャンバラで敵を討つ働きです。


ドタバタ!
組打ちの功名

組打ちの功名』とは、取っ組み合いで敵を討ち取ること。

(やり)や刀を落としてしまったり、折れて使えなくなったした場合、つかみ合いのケンカになります。賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで加藤清正は敵将と格闘(かくとう)になり、崖下(がけした)に転がり落ちたすえ討ち取っています。


ブスッと!
槍先の功名

(やり)先の功名』とは、(やり)で敵を討ち取ること。

(やり)を使って敵を(たおる)す働きです。(やり)先をしならせて敵を(たた)(たお)してもOKです。相手をノックアウトした武器が(やり)であればこれに該当(がいとう)します。


グサグサ!
突き槍の功名

()(やり)の功名』とは(やり)で敵を()(たお)すこと。敵を(やり)でたくさん()くこと。

これは(やり)先の功名と似ていますが、”(やり)()” というアクションが強調されています。(やり)()()せて首を取る『槍下(やりした)の功名』とも同義です。


他は引き受けた!
槍脇の功名

槍脇(やりわき)の功名』とは、味方を助勢してアシストすること。

(やり)、刀、太刀(たち)、弓、鉄砲(てっぽう)なんでも良い。一対一の状況(じょうきょう)に加わるのではなく、もっと大局的な意味で部隊を助ける働きです。(やり)=主戦部隊、(わき)=共同部隊。つまり主戦部隊を支援(しえん)すること。


あとひと息だー!
崩際の功名

崩際(くずれぎわ)の功名』とは、敵が敗走をはじめたときに活躍(かつやく)すること。

敗走といっても、敵が後ろに下がりながら戦っている状況(じょうきょう)で、これを()()む働きのことを指します。(つな)引きに例えると7〜8割こちらに(かたむ)いている状況(じょうきょう)から、さらに引っ張って勝利を手繰(たぐ)り寄せる働きです。

(ただ)し、()げる敵を背後から討った場合は『追首(おいくび)』といい、卑怯(ひきょう)行為(こうい)として評価されません。敵とはいえ、背を向けて敗れて()げる者を討つことは武士らしくないとされていました。


ここはまかせろ!
殿槍の功名

殿槍(しんがりやり)の功名』とは、味方が退却(たいきゃく)するときに殿(しんがり)として最後尾(さいこうび)に残って、敵を食い止めること。

味方の退却(たいきゃく)を助ける働きのこと。パトカーに追われる暴走族のケツ持ちのイメージに近いです。

一言坂(ひとことざか)の戦いで武田軍を相手に殿(しんがり)を務めた本多忠勝や、たったひとりで本願寺の僧兵(そうへい)の前に立ちはだかった前田利家などは殿槍(しんがりやり)の功名の典型です。

殿(しんがり)は武辺者にとってヒーローになる最高のアピールチャンスです。常に数的不利で戦った山中鹿介も、好んで最後尾(さいこうび)を務めました。


負傷者を助けて
退く功

負傷者を助けて退()く功』とは、負傷した味方を助けて自陣(じじん)(もど)ること。

そのまんまですね。助けられる者は助ける。これも武士の美学でした。


見事な散り際!
敗死の功

敗死の功』とは、壮絶(そうぜつ)な戦死を()げた者を(たた)える功名です。

この場合、討死した者だけでなく一族まるごと高く評価されることもあったとか。

手柄にまつわるこぼれ話

はじめて戦場で(やり)()るうことを『初槍(はつやり)』といいます。

複数人で(やり)をついて敵を仕留めた場合、その中に初槍(はつやり)くんがいたら取った首を(ゆず)ってあげるというやさしいルールがありました。

大きな手柄(てがら)が期待できる『大将首』ですが、大将ともなる(かぶと)が重い。
(かぶと)ごと首を持ち歩くのは困難だったため、(かぶと)()がして持ち帰りましたが、首実検のおりに大将首と判定されずに手柄(てがら)(のが)すこともしばしばありました。

一番はじめに槍で敵に攻めかるのが最高の評価とされた

(だれ)よりも早く敵に向かって一番(やり)を入れる役目は、すべての武士の(あこが)れ。一番(やり)の働きは序盤(じょばん)の優勢を決める大事な要因でした。

序盤(じょばん)の優勢は勝利にもつながるため、一番はじめに()めかかる一番(やり)が最高の功名として評価されました。

一番(やり)の働きで最高の評価を受けた有名な武将を紹介(しょうかい)します。

賤ヶ岳の戦いで一番槍!福島正則

1583年の賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで、福島正則は敵将・拝郷家嘉に一騎討(いっきう)ちを(いど)んで一番(やり)を入れました。拝郷の(やり)(たた)き落としたのち、取っ組み合いの格闘(かくとう)になり、転がりながら脇差(わきざ)しで仕留めました。

一番(やり)一番首組打ちの功名により、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いのMVPに(かがや)きました。

1600年の関ヶ原の戦いでは、先陣(せんじん)を務めたにもかかわらず、井伊直政()()けされて一番(やり)のチャンスを(のが)しています。

福島正則のイラスト
福島正則のハナシを読む

福島正則(高斎)は、現在の愛知県西部にあたる尾張国の武将です。賤ヶ岳七本槍のひとり。実母が豊臣秀吉の叔母であった縁で小姓になり、数々の戦いで自慢の槍を振るいました。豊臣家ファーストでしたが、秀吉の没後は石田三成ら文治派と対立、徳川家康に与して関ヶ原を戦い、主家との板挟みに悩みました。享年64。

姉川の戦いや三方ヶ原の戦いで一番槍!服部半蔵

1570年の姉川の戦いで、服部半蔵が朝倉軍に対して一番(やり)を入れています。にらみあいが続いていた状態からの一番(やり)だったので、戦況(せんきょう)を動かす効果は絶大でした。
服部半蔵の一番(やり)後押(あとお)しされた徳川軍は、見事に合戦の勝利を呼びこみました。

1573年の三方ヶ原の戦いでも一番(やり)の働き。戦いの終盤(しゅうばん)では、徳川家康に(せま)った敵兵を格闘(かくとう)(たお)活躍(かつやく)を見せます。

一番(やり)組打ちの功名で、家康から恩賞として2本の(やり)(おく)られました。

服部半蔵のイラスト
服部半蔵のハナシを読む

服部半蔵(正成)は、現在の愛知県東部にあたる三河国の武将です。槍の扱いに長け、一番槍の手柄を挙げることも多く『鬼半蔵』と呼ばれた豪傑です。父の出自が伊賀忍者だったこともあり、徳川家に仕える伊賀衆を統括し、鉄砲隊や諜報部隊を率いました。徳川家康のピンチを警護した伊賀越えが有名です。享年56。

先駆けと一番槍の違い

先駆(さきが)』とは、集団の先頭を()けて敵陣(てきじん)を目指すこと。一番乗りに近いニュアンスです。

ひとりで先頭を()けていくことを『一騎駆(いっきが)』といい、味方の(だれ)よりも早く敵陣(てきじん)()けていく勇気ある行動でした。

そのまま敵に向かって行き、真っ先に(やり)を入れれば一番(やり)になりますが、先頭を走っているだけでは一番(やり)手柄(てがら)にはなりません。先駆(さきが)け・一騎駆(いっきが)けからの一番(やり)はシンプルにカッコいいので、みんな(あこが)れました。

戦国最強といわれる上杉謙信や、天下統一を目指した織田信長は、総大将ながら一騎駆(いっきが)けすることで有名です。

やってはいけない「首取り」行為


そおっと
奪首

奪首(ばいくび)』とは、他人が取った敵首をこっそり(ぬす)んで自分の手柄(てがら)にすること。

他人の手柄(てがら)を自分の手柄(てがら)のように()()うのは感心できません。
武田家では、奪首(ばいくび)を行った者は本人のみならず妻子まで処罰(しょばつ)されたといいます。


ごめん!
味方討

味方(うち)』とは、味方を討ち取ってしまったうえ、その首を手柄(てがら)にしようとすること。

いくら手ぶらで帰れないといっても、味方の首ではマイナスです。
武田家では、味方討をした場合も本人と妻子まで処罰(しょばつ)されました。


ランクアップ?
作首

作首(つくりくび)』とは、少しでもランクが高い人の首に見せかけるためにあれこれ細工すること。

こういうズルをする人もいますので、首実検は慎重(しんちょう)に行われました。偽装(ぎそう)がバレたら(ばつ)を受けます。しかし、そうまでして手柄(てがら)を立てないと生き()けないのでした。

このように、戦国時代の(いくさ)には確かな美学があったのです。

手柄(てがら)のためとはいえ、美しくない行為(こうい)軽蔑(けいべつ)され、場合によっては厳罰(げんばつ)に処されました。

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