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まつなが ひさひで

松永久秀

1508.? 〜 1577.11.19

 
松永久秀のイラスト
  

松永久秀は、現在の奈良県にあたる大和または大阪府北中部にあたる摂津の武将・大名です。三好長慶の参謀ですが、13代将軍・足利義輝の側近として幕府の業務も行いました。長慶が亡くなると、三好義継に仕え、織田信長に従いましたが、2度の謀反を起こし、最後は火薬をつめた茶釜を抱えて自爆しました。享年70歳。

松永久秀の人物タイプ
奸雄

このページでは、松永久秀が何をしたどんな人なのか、ハイライトやエピソードを紹介しています。戦国武将・松永久秀のことがきっと好きになります。

  • 出身地:摂津(大阪府)
  • 特 徴:良くも悪くも知恵が働く
  • あだ名:乱世の梟雄
  • 戦 績:30戦 18勝 5敗 7分
  • 領 地:大和
  • 居 城:滝山城 → 信貴山城 → 多聞山城

三悪事をやらかした最凶の極悪人で信長を2度裏切って爆死した

謀略と暗殺で主家を乗っ取った斎藤道三、宇喜多直家と並んで「戦国三大梟雄(残忍で勇猛な人物)」と称されている松永久秀は、重ねて謀反を起こす裏切り癖から、信長の野望では「ギリワン(義理1)」と呼ばれ、爆死を遂げた最後にちなんで「ボンバーマン」とも呼ばれるクセがつよい人物です。

織田信長が徳川家康と引き合わせたおりに、松永久秀のことを『すげぇワル』と紹介したそうです。信長いわく「三好家をつぶした悪党」「将軍を殺した悪党」「奈良の大仏を黒コゲにした悪党」であるとのこと。まさしくこれが松永久秀がやらかした三悪事です。

松永久秀が三好長慶のもとで働くようになってから30年ほど経ったころ、三好家に度重なる不幸が起こります。長慶の唯一の跡取りだった三好義興が22歳の若さで病死、長慶の弟・十河一存、三好実休、安宅冬康が続けざまに亡くなります。

ションボリした三好長慶があとを追うように死去。少し前には、三好氏の主家筋にあたる細川晴元が病死するという奇妙な連鎖が起こります。
一連のコンビネーション死は(たぶん)松永久秀の謀略によるもので、久秀は畿内(京都周辺)での権力を強めました。

松永久秀を取り巻く相関図と死亡理由

幕府すらやっちまおうと考えた松永久秀は、嫡男・久通と三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)をつかって13代将軍・足利義輝を殺害。つづいて三好三人衆を片付けようとします。三人衆は大仏様のお膝元なら攻撃されないと思って、大仏殿を本陣にして抗戦しますが、松永久秀は「そんなの関係ねぇ」とばかりに大仏殿を攻めて大仏を全焼させてしまいます。

思いのほか三人衆が手強かったので、京都に上洛してきた織田信長に便乗。三好三人衆を蹴散らしてもらい、一時的に信長の家来になります。
畿内はすっかり織田信長のものになってしまったので、松永久秀は信長を始末するチャンスを虎視眈々と待ちます。

信長より強い勢力を味方につけようと考えた松永久秀は、武田信玄の上洛にあわせて謀反を起こします。つづいて、上杉謙信が上洛するタイミングで謀反を起こしますが、いずれも信玄、謙信が亡くなったために失敗してしまいます。

1回目の謀反は、一等級の茶入「九十九髪茄子(つくもかみなす)」を信長に献上して許してもらいました。2回目の謀反では降伏条件として、とっておきの茶釜「古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)」を信長から要求され、これを拒否して平蜘蛛と爆死しました。

爆発炎上した松永久秀の命日は、天正5年10月10日(1577年11月19日)。これより10年前、奇しくも東大寺の大仏が燃えたのも同じ10月10日でした。

[生涯] わかりやすい解説

① 三好家臣

父母は不明です。
松永久秀と名乗り、26歳のころから三好長慶の家来になります。
三好氏と室町幕府をつなぐ役として、13代将軍・足利義輝の家来でもありました。
三好長慶が幕府と争うと、久秀も戦い、将軍を追い出して京都を支配しました。

② 内紛

三好長慶が病死すると、跡をついだ三好義継に仕えます。
同じころ、三好三人衆と長男・松永久通によって足利義輝が殺害され、京都は混乱しました。
三好家は、久秀 vs 三人衆という2つのグループが対立するようになります。
久秀は義継とともに三人衆と戦いました。

③ 二度の謀反

15代将軍になる足利義昭をつれて上洛してきた織田信長に味方します。
信長に協力してもらって三好三人衆を追払い、筒井順慶に勝って大和を手に入れました。
信長をやっつけるために武田信玄が京都を目指すと、これに味方しますが、信玄が急死したので信長に降参して許してもらいました。

上杉謙信が信長を倒すために動き出すと、久秀もこの流れに乗ってふたたび裏切ります。しかし、謙信も急死してしまい、久秀の計画は失敗に終わります。
最後は信貴山城で織田軍と戦って、お気に入りの茶釜を抱いて自爆しました。

松永久秀の簡単な年表
松永久秀の領地・勢力図(1568年)

[能力] 消えることのない野心の炎を抱く万能な秘書官

秘書的な能力を買われて三好長慶の最側近になっていますが、治政はもとより「接待や交渉力」に秀でていたようです。将軍の側で幕臣として接待役をこなす一面も。敵将を見事な交渉術で説得して、織田信長の退却を助けたこともあり、ネゴシエーターの才覚も感じます。
奇襲を得意とする戦上手でもあり、武人としても際立っています。文武両道に加えて、文化的な教養にも明るく、茶道具の目利きもトップクラスです。

謀略に明け暮れる悪党とはほど遠い印象ですが、武田信玄らと共謀して織田信長の転覆を狙って裏切ったのも事実。畿内の権力者であり続ける野心があったのでしょう。

松永久秀の逸話・面白いエピソード

じつは悪いことはしていない

松永久秀がしでかしたとされる3つの悪事ですが、実際はひとつも関わっていなかったという話。完全にヒールなイメージの松永久秀ですが、事実は違っていた可能性が指摘されて、最近の研究では根本から見直されています。

【三好家乗っ取り】やっていない。少なくとも、斎藤道三のように主君を蹴落とすことはしていません。それどころか、当主・三好義継を排除しようとした三好三人衆と戦い、義継を守っています。
主従が逆転してしまったのは、大和の国主になっていた久秀を三好義継が頼ってきたためであって、主家を乗っ取ったわけではありません。ちなみに、久秀は三好家を再興しようともしていますが、足利義昭の妨害によって頓挫しました。三好LOVEだったのだと思います。

【将軍殺し】13代将軍・足利義輝を暗殺したのは、三好三人衆と久秀の長男・松永久通です。久秀は、暗殺現場にすらいませんでした。なぜか久秀がやったことになっている風評被害です。

【大仏を燃やす】東大寺の大仏殿を本陣にした三好三人衆に、松永久秀が夜襲をかけたおり、現場の混乱に乗じて、キリスト教徒が大仏に火を放ったという説が有力です。

はじめて城に天守閣を築いた人

お城のてっぺんにどんと構える城主の館「天守閣」をはじめて実装したのは、松永久秀です。当時の城には、現在知られている姫路城や熊本城のような天守は存在しませんでした。久秀が多聞山城を築城したときに、天守をつくったのが日本初とされています。
多聞山城の天守をみた織田信長が「おっ!これいいじゃんすげぇクール!」と感心して、安土城の天守閣を築いたそうです。

松永久秀の戦い・有名な合戦

東大寺大仏殿の戦い とうだいじだいぶつでんのたたかい 1567.4.18 〜 10.11 松永軍? vs 三好&筒井&池田軍2万8千

三好長逸ら三人衆に筒井順慶、池田勝正などを加えた連合軍が本陣をかまえた東大寺(奈良県奈良市雑司町)を松永久秀が攻めた合戦。連合軍に対して、久秀は夜襲を決行。三好・松永の兵火と呼ばれるこの事件によって、東大寺の多くの建造物が焼失。大仏も焼け崩れた。

東大寺大仏殿の戦いで松永久秀は勝っています。三好家を継いだ三好義継を強奪した三好三人衆と久秀は対立し、義継が久秀のもとに逃げてきたことをきっかけに争いに発展します。
ゲリラ戦を繰り返す三好三人衆に苦戦した久秀は、織田信長を頼ることにします。久秀の運命を変えた織田信長と関わりをもつターニングポイントになりました。

金ヶ崎の戦い かねがさきのたたかい 1570.4.28 織田&徳川軍3万 vs 浅井&朝倉軍2万5千

越前の朝倉義景を攻めていた織田信長を朝倉軍と浅井軍が金ヶ崎(福井県敦賀市金ヶ崎町)で挟み撃ちにした戦い。浅井長政の裏切りによって、織田軍は撤退を余儀なくされる。木下藤吉郎が、客将として参戦していた明智光秀ととも撤退戦の殿を担い、信長を無事に逃げさせた。

金ヶ崎の戦いで松永久秀は敗れています。織田軍として参加した久秀は、朽木元綱を調略して退路をつくります。信長の退却を助ける働きをしました。

信貴山城の戦い しぎさんじょうのたたかい 1577.10.5 〜 10.10 織田軍4万 vs 松永軍8千

ふたたび信長に叛いた松永久秀が信貴山城(奈良県生駒郡平群町)に籠城して織田軍を迎え討った合戦。織田信忠を総大将とした4万の大軍で包囲された久秀は、しばらく抵抗したのち、一国にも値するといわれた茶釜・古天明平蜘蛛とともに壮絶な爆死を遂げた。

信貴山城の戦いで松永久秀は敗れています。上杉謙信の上洛に合わせて、反信長の挙兵をしますが、謙信が病死してしまい、久秀は孤立します。信長に勝ち目がなくなった久秀は爆死し、後世まで派手なキャラクター性が語り継がれます。

松永久秀の年表を詳しく

松永久秀は西暦1508年〜1577年(永正5年〜天正5年)まで生存しました。戦国時代初期から中期に活躍した武将です。
三好義継と筒井順慶の41歳上、足利義輝の28歳上、三好長慶の14歳上です。
織田信長より26年さきに生まれています。

15081摂津(阿波、山城など諸説あり)に生まれる。
153326細川家臣・三好長慶に仕える。
155144”相国寺の戦い”細川氏との戦に参加。
155346摂津・滝山城の城主となる。
155851”北白川の戦い”足利幕府との戦に参加。
156053大和の筒井順慶、興福寺と争い北大和を制圧する。
信貴山城に移り、居城とする。
156154”将軍地蔵山の戦い”六角氏&畠山氏の連合軍との戦に参加。
156255”教興寺の戦い”畠山氏との戦に参加。
幕府政所の伊勢貞孝・貞良父子を討伐する。
多聞山城が完成、居城を移す。
156457主君・三好長慶が死去。長慶の甥・三好義継に仕える。
156558息子・松永久通が三好三人衆とともに13代将軍・足利義輝を襲撃、殺害する。【永禄の変】
三好三人衆に飯盛山城を襲われ、主君・三好義継を奪われる。
”第6次筒井城の戦い”筒井順慶の筒井城を攻略。
15665914代将軍・足利義栄から松永討伐令が出される。
畠山氏と同盟を結ぶ。
根来衆と連携して三好氏の高屋城を攻める。
”上芝の戦い”畠山氏とともに筒井氏と戦うが、敗れる。
”第7次筒井城の戦い”筒井城を筒井順慶に奪還される。
156760三好三人衆のもとから逃げてきた三好義継を保護する。
”東大寺大仏殿の戦い”三好三人衆&筒井氏&池田氏の連合軍に勝利する。大仏殿が消失する。
156861三好三人衆&筒井氏の連合軍に信貴山城を奪われる。
織田信長の上洛に協力する。織田氏によって三好三人衆が畿内から追い払われる。
茶器・九十九茄子を差し出し、織田氏と同盟を結ぶ。
14代将軍・足利義栄の死去により足利義昭が15代将軍になる。【室町幕府の再興】
幕府の家臣ならびに大和の独立大名になる。
”第8次筒井城の戦い”筒井順慶から筒井城を奪い返す。
織田氏の援軍を得て、筒井氏を攻める。信貴山城を奪還する。
大和を平定。
157063”金ヶ崎の戦い”織田氏と朝倉氏の戦に織田軍として参加。朽木元綱を調略し、信長の退却を助ける。
”第1次石山合戦”織田氏と石山本願寺との戦に織田軍として参加。
157164”辰市城の戦い”織田氏に対して敵対を表明。織田方の筒井氏を攻めるが大敗する。
157265反信長勢力に加わる。【第2次信長包囲網】
157366織田氏に多聞山城を包囲され降伏。
織田信長に臣従する。
157770”信貴山城の戦い”織田氏に対して謀反を起こす。籠城し、抗戦したのち自害。
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